プロフィール

自己否定する自滅パターンを手放すことで
「今」という一瞬の大切さと喜びを味わえる  
    

毒親育ち→アダルトチルドレンの負の連鎖を断ち切った
いのちを輝かせるカウンセラー 心田 真与(ここた まよ)です。

●悩み解決にはカウンセラーとの相性が大切


カウンセリングを受けようと思った時に、
「カウンセラーがどんな人なのか?」「この人で大丈夫かなぁ?」と
不安を感じたりしますよね?

心理カウンセリングを受けて悩みが解決するかどうかは、
クライアントであるあなたと心理カウンセラーである私との相性が                      非常に重要なポイントとなります。

ですので、私がどんなふうに悩み、どのような経緯で悩みを克服し                                                カウンセラーになったのか、ご興味のある方は、                           「私の人生をまとめてみました」をぜひご覧くださいね ⇓⇓

そして更に、詳細なプロフィールをご覧になりたい方は                         「人生のまとめ」より下記を、お読みくださいね。⇓⇓

虚弱体質、食が細い/母親の顔色を伺うことが日常的だった幼少期

兵庫県尼崎市生まれ 転勤族の父と専業主婦の母、6歳離れた妹の4人家族。
生まれつき虚弱体質で、乳児期に腸管アレルギーで入院し、                       命の危険にさらされた時期があり、とにかく、食が細く、食べることが苦手な子供でした。

物心ついてからも、ご飯を残すたび、母親から叱責され、幼稚園のお弁当を残して
帰った時には、母親が「こんなちょっとのご飯も食べれないなんて、情けない。」と言って、泣いていた様子を見て、

「自分は、お母さんを泣かして、困らす、ダメな子なんだ」と、とても辛く、悲しい気持ちになり、涙が溢れたことを今でも記憶しています。

小学校に上がる頃まで、おねしょが続いたので、よく怒られ、特に、母親の機嫌の悪い時には、押し入れの中に入れられたりして、とても怖い想いをしたことがたびたびありました。

そんな母親との関係の中で、いつも怒られないかを気にして、母親の顔色ばかりをうかがっていました。

●内向的/怒られることが憂鬱な小学生時代

低学年の頃は、身体も小さく内向的で、授業参観の時に、手を挙げて発表できないと、帰宅してから、母親に「なぜ手を挙げないのか?」「他の子はみんな手を挙げているのに、どうしてあなたは、わからないの?」と、叱責されるのがとても嫌で、母親が授業参観に来るのが苦痛で、とても憂鬱でした。

中~高学年では、テストの点数について、もっと良い点がとれないのかと、よく怒られていました。

この頃から、怒られないように、点数の悪いテストの答案用紙は、隠して捨ててしまうという行動をとるようになっていきました。

●クラブ活動を禁止された息苦しさ/親との軋轢の激化

父親の転勤で中学入学時に沖縄へ引っ越しました。ちょうど引っ越し前に、妹の水疱瘡がうつり、アトピー持ちの私は非常に病状が重くなり、入学式にも出席できませんでした。

出遅れたスタートでしたが、自分なりに、新しい環境へ早く慣れたいと思い、友人を作ろうと、クラブ活動(運動系)への参加を希望したのですが、当時のクラス担当の先生からの忠告で、運動系のクラブは素行面での問題があるので、入部しない方がよいと母にアドバイスされ、母親はそれを忠実に守り、私に、入部を禁止しました。
                                                 入部を禁止された私は、悶々とした日々を過ごし、徐々に、自分のエネルギーを発散させる場を持てない息苦しさから、こっそりと、繁華街で遊ぶことへ流れていくようになりました。

この頃から、母親との軋轢が徐々にひどくなっていきました。いつも、自分のやろうとすることへ反対され、悔しく、悲しかったです。

転校と受験のストレス/親との不仲で自死を考える受験期

2年半、沖縄に滞在して、ようやく土地に馴染み、友人も増えた頃に、再度、父親の転勤で広島へ引っ越しとなりました。多感な思春期に、沢山できた友人との別れがとても辛くて、しばらく、新しい引っ越し先でも、気持ちが暗いままでした。

私の高校受験の時期に合わせて、父親の移動時期より、一足早く、母と妹と私の3人だけで、母方の祖父母の自宅へ居候させてもらいました。そこでの中学生活は、受験の塾通い位しか記憶になく、友人もいなくて、楽しいこともなく、ストレスからか、母親との喧嘩も多く、心は辛くて張り裂けそうでした。

「誰も私の辛い気持ちをわかってくれない。」と人生で、初めて「自死」を意識したのもこの頃でした。

●監視、規制、抑圧からの反抗/絶えぬ親との喧嘩

高校へ入学すると、環境も新たになったことで、少し、気持ちが切り替わり、前向きになりつつあったけれども 日々の生活の中では、相変わらず親からの監視や規制の元、毎日が窮屈で、徐々に、反抗的な態度や行動をとることが増え、親との喧嘩も絶えなくなっていきました。

父親は、仕事が忙しく週末しか、顔を合わせることがなかったのですが、門限など時間にとても厳しくて、 5分でも門限に遅れると、怒鳴られて、怖い想いをしていました。

●素行不良/親の目前で交通事故を引き起こす

とにかく、世間体や学歴、人を見た目で判断する親の価値観に対して、猛烈な違和感と反抗心を抱いていた 当時、反抗的な態度が次第にエスカレートしていき、世間でいう不良と呼ばれるような学生となっていきました。

そんな学生時代、卒業も間近な頃、自宅付近で、原付バイクでトラックとの交通事故を起こしてしまいました。偶然にも、父親にとっては悲惨な状況で、父親が、バス待ちをしていたバス停の目の前で事故に遭い、壮絶な 事故現場を目の当たりにしてしまいました。
一命はとりとめましたが、足の骨折と全身打撲、約3か月以上の入院生活を余儀なくされました。

自宅近くで起こした事故だったため、母親からは、「親の顔に泥を塗って、、家族も世間から後ろ指差されるようなことをして..なんてことをしてくれたんだ!」と泣きながら罵られました。
私は朦朧とした意識の中、家族に対してひどいことをしてしまったことで、
さすがに申し訳ないと思い、「こんなになっても、なんで自分は、生きているんだろう」と、考えていました。

親から提示された「親子絶縁」の手紙

入院中には、愚かな自分が隠れて行動記録していた日記帳を勝手に親に見られ、数々の私の悪事を知った母親からは、「親子の縁をきる」と手紙を渡されました。

その時は、幼い頃のように、悲しいとか、辛いとかいう気持ちよりも、「もう、好きにして…こんな思いする位なら、縁でも何でもきってくれ!」といった投げやりな気持ちになっていました。

息をしているだけの抜け殻生活/精神的限界からの家出

結局、退院して自宅に戻ってからも、監視&監禁状態が続き、友人からの電話も取り次いでもらえず、息をしているだけの日々、何の為に生きているのか?わからず、抜け殻のようになっていました。

そんな、精神的にも限界を迎えていた頃に、ある行動を起こしました。

当時、唯一外出できるチャンス(骨折した足のリハビリに、松葉杖で通院していた)を活かして、家出を決行しました。「もう、こんな家に居たくない!なんの自由もない生活なんて、まっぴらだ!」

怪我の痛みよりも、心の痛みの方が大きかった私は、「この自由のない苦しさから抜け出したい!」

ただ、その一心で、家出に踏み切ったのです。

●家出後/監視生活から息のできる生活へ

病院から、時間になっても帰宅しない私を心配した母親は、まさか、松葉杖をついたまま、娘が、家出をするとは思わずに、私の友人へ連絡を入れ、「もう、何も言わないから、帰ってくるように。」という手紙を友人へ託したのでした。

そして、数人の友人からも、帰宅をすすめられ、少し冷静になった私は、渋々自宅へ戻りました。帰宅してからは、母親も今までのように、ガチガチの監視をすることはなくなり、少し、息がしやすくなった生活を送れるようになりました。

アクシデントの多かった高校をなんとか卒業し、隣県の短大へ進学し、幼児教育を専攻し、幼稚園教諭2級免許、保母資格取得しました。

親からやっと、承認されたような気持になった社会人時代

短大を卒業時には、幼児教育を学んだにも関わらず、就職先には一般企業である銀行を選びました。

なぜなら、私は幼児教育専攻ではありますが、ピアノ演奏がとても苦手だったからです。

そして、世間体を重視する「親が気に入る企業に就職したら親に認めてもらえるのではないか?」と、どこかで思っていたからです。

無事、就職試験に合格することができた私は、幼少の頃から、褒められたことがなかったので、心のどこかで、やっと親に認めてもらえたという、ホッとしたうれしい気持ちが湧きました。

社会人となってからは、今までの自分の考えの甘さを存分に、味わうことになる激務を体験しました。

もともと、数字が苦手な私が毎日、数字を扱う仕事に対応し、1円お金があわないと、当時は帰宅できない、といった、かなりのストレスで人生初の胃痛を経験したのもこの頃です。

それでも、自分で働いて、お給料を頂くようになってからは、親からの監視はすっかり緩くなって、やっと、少しは認めてもらえたようで、つかの間の喜びを感じていました。

●親に反対され続けた恋愛~結婚

私には、高校時代後半から就職中の期間、親に隠れて6年間交際していた人がいました。

なぜ親に隠れてつきあっていたかといえば、その男性に親が重視する学歴がなかったからです。

けれども私は、その男性といると、親といる時よりも、ありのままの自分で、とても楽に過ごせる実感を味わいました。彼は、人を肩書などでジャッジしたりしませんでしたから。。

結婚を許してもらえるまで、様々な事がありましたが、結局は、両親に対して、自分の想いを正直に手紙に綴り、伝えました。その手紙を読んで、親は、哀れみの言葉を伝えてきて、「好きにしたらいい」と、半ば、諦めた感じで、結婚が許されました。

想いがかなったけれども、哀れみや、諦めの承認なので、「心からは、認めてもらえないんだなぁ」という寂しさは残っていました。

●出産/繰り返す切迫流産や早産による心の不安

結婚後は2児を授かりましたが、それぞれの妊娠期間中に数回、切迫流産や早産で入退院を繰り返すことを経験しました。子供を無事出産できるのかという、不安がいつも押し寄せ、心に余裕がありませんでした。

入院生活は、絶対安静のポータブルトイレ使用、子宮収縮を抑えるための点滴を24時間、ずっとつけたまま、2か月以上に渡る孤独な入院生活を送りました。特に長子を預けて入院するときの寂しさは、とても辛いものでした。

産後/体調不良での精神的落ち込み

そして、なんとか第二子を出産することができてから、今度は育児による睡眠不足やストレスから、劇的な体調不良となりました。

下痢や倦怠感などがずっと続き、新生児を家においたまま、幼い長女を連れて、近所の病院へ点滴治療に毎日通院するのが日課という日々が続きました。

実家も県外と離れていたため、誰にも頼ることができない環境でした。                    自分の体調に対しての不安からか、徐々に病状が悪化していき、様々な検査を受け、           「過敏性腸症候群」と診断されました。

体重もみるみる減っていき、外出先でもトイレを探しながら移動し、最低限の家事、育児をフラフラしながら なんとか必死で対応していました。

体調不良で、ネガティブなことばかり考えがちでしたが、「幼子を残して、先立つことだけはできない」という、その想いだけが支えとなって、日々を乗り切って過ごしていました。 

●体調不良により自己否定を繰返す

あらゆる健康に関する書籍を図書館で読み漁ったり、健康食品を試したり、漢方医に診察を受けたりしながら、それぞれの効果がでたのか?又は、子供たちの成長により、育児の負担軽くなったせいか、なんとか、一時のひどい症状は落ち着いてきました。

しかし、月に1回は扁桃腺炎等の熱を出して、寝込んでしまうことが、続いており、夫や子供たちに対しても、こんな体の弱い母親で申し訳がないと、健康でない自分はダメだと、ここでも自分を否定し、よく自分を責めては、落ち込んでいました。

パート勤めによる人間関係での鬱状態発症

けれども、そんな状況から、子供たちが小学校に入学した頃より、ようやく、パート勤めができる位に体調が落ち着いてきました。「働けない私はダメだ」と思っている私がいましたから、自分が社会へ少しでも復帰できることがとてもうれしく、意気揚々と仕事探しをしました。

しかし。。。働けるまでに体調が回復した喜びは束の間の出来事で、今度はパート先の、正社員さんとの人間関係などで、ストレスを抱え、会社に行くのが苦しくなり、やむなく退職をすることになりました。そして、仕事を辞めたと同時に、鬱状態になってしまいました。

人の顔色を伺い、人に嫌われないように振る舞い、本当の自分を出せずに、いい人を演じ続けた結果だと、随分後になって理解しました。

●心療内科受診するも改善されず。。

仕事を辞めて、自宅での静かな生活を送っていても、一向に鬱状態から、改善の兆しが見られない為、意を決して、心療内科を受診することにしました。

けれども、ここでは、ただ薬を処方してもらうだけで、病院でカウンセリングを提供されることもなく、カウンセリングを受けたらいいという、発想すら、自分の中には皆無で自分がどうして、このような状況になったのか?当時は、まったく気づくことができませんでした。

●アダルトチルドレン(AC)に気づく?!

それからしばらく経過した後に、たまたま図書館で見つけた本にアダルトチルドレン(AC)の事が書いてあり、これに自分があてはまるのではないかと、驚きと共に、一筋の光明が差したように感じたのですが、結局、解決方法までは、行きつくことができず、長らく、悶々とした時期を過ごしました。

繰り返された私の抑圧子育て/イライラ、高圧的、価値観の押付                  

当時の私自身の子供に対する接し方について。

親からの過剰な抑圧に嫌悪を抱いていた私でしたが、現実の子育ては、最も自分が避けたかった親の態度と同じような振る舞いをしていました。

体調不良が多かったこともあり、「精神的にもイライラしがちで感情コントロールができない」子供たちにも、「自分の価値観を押し付け、高圧的に親の権力を振りかざす」
「子供を自分の意のままコントロールする」という、自分がなりたくない親の姿になっていたのでした。

夫婦関係の悪化/夫へのジャッジや蔑みの心が生まれ、自分の心の変化に苦しさを味わう

子供たちが成長し、それぞれの世界を持ち始めた頃から、次第に、夫と向き合う時間が増え、今度は その関係性に悩むようになってきました。

相手のちょっとした言葉や態度をジャッジすることが増え、何気ない事に対して、すごく腹立たしく感じたり、どんどん一緒に生活していくことが嫌になっていきました。夫の帰宅時の玄関施錠が開く時の「ガチャガチャ」と、いう音を聞いただけで、心がド~ンと重くなっていく日々が続きました。

今振り返ると、自分でも怖いなと思えるのが、夫に対しても、自分の親と同じような価値観で、夫をどこかで 蔑んで、ジャッジするようになっていたのです。

そして、何より辛かったのは、自分が一番理解していたはずの、「夫の人間的な素晴らしさ」を見失ってしまい、相手を疎ましく感じ、愛することができなくなっている自分の荒んだ心の変化でした。

●アトピーの悪化から心のメッセージを受け取る

そんな状態が続く中、長女が大学受験、長男が高校受験、夫が独立起業という節目を迎えた年があり、ちょうどその頃、長年抱えていた私のアトピー性皮膚炎(以下アトピー)の症状が急激に悪化してきました。

当時の状況は、今まで経験したことのない位のひどい症状となり、まずは目立つ、顔の部分の発疹がひどく、身体の痒みで眠れない位になり日常生活にも支障をきたすようになっていきました。

ステロイドを塗っても、あまり効果もなく、脱ステ療法に取り組んだり、食事療法を勉強してみたり、病院を転々としながら、なんとか軽減させたいと、あれこれ取り組み続けました。

そんな中、ある日、ふと、自分の心の中から、「これは、ただ単なる皮膚疾患の症状ではなく、何か、心からのサインがあるのかもしれない」という気づきが湧いてきました。

●「こころ」の探求 

自分の心の気づきにより、初めて私は、「心のことが深く知りたい!」と今まで感じたことのない程の、探求心が湧き上がりました。そして、ここから私の「こころ」についての探求が始まりました。

精神世界、宗教、心理、など見えない世界に関する情報を、必死に収集し、学んだ時期でもあります。

●心の喜びを学んだボランティア活動

アトピーの治療を様々な側面からすすめながら、心へのアプローチも求め、生まれて初めて、スピリチュアルカウンセリングを受けました。

その時にたまたまセッションルームに置かれていた1枚の講演会のチラシに心惹かれ、その講演会に参加したのです。

講師の先生は、ミャンマーで得度された日本人のミャンマー僧侶でした。                 国内やアメリカなどで、心の平安、自立、調和を伝えながら、同時に発展途上国への自立・人道支援活動を行われている方でした。

講演会での講話内容や、その方の歩まれてきた軌跡を知り、衝撃と感銘を受けました。

その後、その方のNPO団体でボランティア活動を始め、カンボジア、ミャンマー、スリランカの現地へ支援活動に赴く体験をしました。

こうしたボランティア活動を通じて、生まれて初めて、心の奥底からの深い喜びを得ることを体験し、言葉では表現できない感動を味わうことになりました。 

ボランティア活動を通じて初めて自分を生きることを知る

しかし、その反面、主婦である私が、家族を残して、ひとり海外に1週間以上も滞在してしまうことを決めたときには、当たり前のことですが、夫からものすごい反対を受け、離婚問題にまで発展しました。

今までの私は、自分の母親と同じように、世間体を気にして、主婦が外泊をするなんていけないことだ、夫のいう通りにしておくべきだ、と自分を抑えていました。

しかし、この機会に行動をしなければ、苦しい今までと同じで、何も変わることがない!

本当の自分を生きることができない!(アトピーも心の抑圧からきているという感覚があったため)と、いう強い想いが心から湧いてきました。

その強い想いは、小さい時から、自分のやりたかった行動を、初めて自らの意志で貫く、助けとなりました。

結局、私は離婚されてもよいから、海外(ミャンマー)に行くと決断してからは、              子供たちが、主人にも冷静な提言をしてくれ、海外に行くことを許されたのでした。

世間一般から見たら、私は、わがままな主婦で、家族に迷惑をかけて、という構図ですが、あの時、本当の自分の気持ちに正直に行動したお陰で、何物にも代えられない貴重な体験を得ることができたのは、のちの自分の人生、家族にとっても、大きな良い影響を与えてくれたと確信しています。

●ボランティア活動から学んだ心の内観とギフト

こうした活動を約10数年以上、継続し、その中から本当の自分で生きることの喜びや、人生においての物事の捉え方などを学びました。

自分自身が生きることが楽になったこともそうですが、問題があると、なんでも相手のせいにしたり、責任は外側にあることにしていた自分を猛省し、子供たちや夫に謝ることができたことは、自分の心と向き合うということを学んだギフトでした。

文字にすると簡単ですが、この「自分の心と向き合う」という行為は、自分にとって、見たくない自分を見る、受け入れがたい、辛い取組でした。

けれども、少しずつ、蓋をしていた自分の感情を受け入れ、癒し、改める必要があるところは改善していくよう少しずつ取り組んでいくと、いつのまにか、自分が今まで見ていた景色とは違う、明るい景色へと変化していきました。

心と向き合うことによる親子・夫婦関係の改善

まず、そんな私の変化に、気付いたのは、私の「毒」に被害を被っていた子供たちでした。         特に、息子とは、性格が似ているせいか、お互い辛辣な発言を繰り広げながら罵りあいをし、決して、私のコントロールが効かない息子を、どうにかして思い通りにしようと、感情をぶつけてしまう日常を送っていました。

その息子が、ある時「今のおかあ(母)の方がいい」ふと、つぶやいた時、                   全ての原因は自分にあったことを 痛感し、自分を恥じたのでした。

息子に今までの悪態を謝ってからは、信じられないくらい、よい関係を保つことができるようになりました。もちろん、完璧な母親にはなれないけれど、親として未熟な自分をさらけ出して、反省すべき点は、素直に謝り、正直な気持ちを伝えていくことの大切さを、子供から学ばせてもらいました。

夫に対しても、思いやりに欠けていた自分の行動や発言、自己本位な甘えなどに改めて気づくことができ、そんな自分を受け入れるまで長い時間はかかりましたが、今では出会った頃の夫の素晴らしさを再び見て、感じることができるようになれた自分の心の変化がとてもうれしいです。

●ありのままの自分を忘れた介護での自滅パターン

自分の両親の場合は、ほとんど、訪問看護、病院などのサポートによって、あまり自分が直接、介護に関わる機会がありませんでしたが、義母の場合には、様々な家庭環境や、経済的なことなどを含めて、我が家に、同居してもらうしかない状況で、数か月の介護生活を送りました。

義母は末期癌だったので、自宅での介護はある程度の段階までしか対応することができずに、その後はホスピスへ入居し、見送ることになりました。

在宅介護中は、自分が勝手に実力以上の高い理想を掲げ、「こうするべき」と、自分に足かせをしてしまい、 結局途中で、心身共にとても疲弊してしまい、主人とも口論になったりして、発作的に自宅を飛び出してしまったこともありました。

ここでも、ありのままの自分を受け入れることができず、いい嫁を演じ、こうするべき、などと自分勝手に思い込み、それに対して、できない自分ばかりにフォーカスして、自己否定する、お得意の自滅パターンがでていました。

けれども、その時は介護経験のある知人や、公的援助のサポートを受け、なんとか乗り切ることができました。

●生きる喜びのボランティアから大好きな仕事へ恵まれる

アトピーが悪化した頃から、心のことを探求しつつ、新たなボランティア仲間と知り合うことができたので、 パート勤めと、ボランティアを掛け持ちしていました。
しかし、ボランティアをすることが自分の生きる喜びとなっていき、本格的にその活動に専念したいと思い、パートの仕事をやめ、約5年程、ボランティア活動のみに専念した期間がありました。

その後、NPOのボランティア活動で繋がった、海外の仲間と国内の有志メンバーで、今までの活動経験を基礎に、日本で実践研究を行いながら開発途上国の貧困層を自立に導く起業家育成と産業開発に取り組むことで、貧困問題解決の一助となることを願う会社を設立し、約5年働いていました。

体力の衰えと気力の落ち込みから、また「自滅パターン」発動

志を共にする仲間と働けることは、とても楽しく、やりがいのあるものでしたが、年齢的にも体力が落ち、遠距離通勤(県外へ片道2時間の所用時間)が重荷になってきたり、身体のあちこちに不調が現れるようになり、仕事をすることへの気力が落ちてしまうようになりました。

結果、仕事からは手を引き、現場から離れることにしました。

疲労が蓄積していた状態を省みることもしていなかった為、徐々に、心の中の課題が現れてきました。

もっと早い時期に、自分の心の声に耳を傾けていればよかったのですが、そうした心の余裕が持てず、とにかく頑張ることで、自分の存在意義を見出そうとしていました。

「自分で勝手に、自分を過小評価し」、「仲間からの評価を素直に受け取ることができない」、「仕事ができない自分には価値がない」という思い込みや、「今まで通りに働けない自分はダメだ」、などと、笑える位の自己否定をしてしまいました。
また、ここでも、「自滅パターン」発動です。

カウンセリングにより、長年の「自滅パターン」の原因がわかる

今まで、さんざん、心を見つめ、取組んできたはずなのに、またこうしていつもの、            自滅パターンになってしまう自分に正直、愕然としました。

もう何年も、何度も繰り返す、この自己否定、自滅のパターンをいい加減、手放したいと痛切に感じました。

この問題の原因を知り、解決したいと思った私は、改めて心理療法からのアプローチを試みようと、カウンセラー養成講座に入り、そこで自分の心の課題の原因を学び、理解し、自分の心を癒していくことに取り組みました。

なんとなくは、気づいていたけれど、私の繰り返されるこの自滅パターンの原因は            「毒親育ち~アダルトチルドレン(以下AC)の負の連鎖」からくるものだとわかったときには、全てが腑に落ちる感覚がありました。

まずもって、自分の親が毒親なんてことは思ってもみなかったですし、正直受け入れ難くもありました。 

そして、自分がACということは、昔、本で読んで知ってはいたものの、深いところまでは、学べていなかったので、こんなにも、小さな頃の体験からくる思い込みが、その後の人生に影響を与えるとは思ってもみませんでした。

ACの思い込みよる人生への悪影響を知る/カウンセリングによる感情解放と癒しの体験

カウンセリングでは、小さな子供の自分にとって、親は絶対的な存在で、親の言うことが正しくて、それに添えない自分がだめなんだと思い込んでおり、その思い込みが、私の人生の時代を超え、様々な場面で悪影響を及ぼしていたことがわかりました。

そして、カウンセリングを受けることによって、「怒られてばかりで腹が立っていたこと、その奥には悲しみがあったこと、何もできなくても、ありのままの自分を認めてほしかったこと、そして本当は親をとても愛している事、とても愛されたかったこと。」そんなことが自分の心からどんどんと涙と共に溢れ出してきました。 

そんな心をカウンセラーのサポートを借りて、自ら癒しながら、心が解放されていくことを経験しました。

 正直、こんなにも様々な感情を持っていた自分にびっくりしました。

もし、カウンセリングを受けていなかったらこれから先も、又同じことの繰り返しで、自分を責め、苦しみ、自分の良さも認められない状況を続けていたのだと思います。

そんなことを想像すると、これからの残りの人生展望についても、前向きになれていなかったと思います。

生きる喜びにつながるカウンセラーを目指す

カウンセリングを受け、だんだんと、自分を癒し、受け入れていくことができるようになってきて、心の課題が片付ていくと、身体の不調も回復に向かい、自分のこれからの残された人生についても前向きに考えられるようになりました。

私の人生で大きな影響を受けた、ボランティア活動で体験した、心の深い喜びは、

「誰かの幸せ(笑顔)、生きる喜びに関われること。目の前のひとりの人が、心からの笑顔でご自身の人生を生きる喜びで満たされ、歩まれていくことの一助に関われること」
                                               この生きる喜びと、自分が今まで体験してきた生きづらさを、自分の強みとして、今度はどなたかのお役に立つことができたら…自分の内にある愛を体現できたら、本望だと感じ、カウンセラーを目指そうと思いました。

孫娘から学んだ・いのち輝かせるカウンセリング

そして、更にその想いを後押ししてくれる出来事が私のプライベートで起こりました。           長女に3人目の子供が誕生した時のことです。私にとっては5人目の孫です。

この小さな命は、生まれながらに重度の染色体異常を持ち、出生生存率わずか10%の確率の中、この世に誕生することができた、奇跡の命をもった子でした。

予後も、1歳までの生存率が10%と言われている中、出産して初めて厳しい現実を受け入れなければいけない、我が娘の胸中を察すると、胸がはりさけそうになる痛みを感じつつも、
なんとか、娘のことを支えたいという一心で、日々過ごしていました。

私自身が、現実を受け入れ、前を向いて進んでいくことを娘と共に分かち合うことができたのも、今までの人生の中で心のことを様々、学ばせてもらう機会があったからだと、有難く思っています。 

そして、小さなちいさな孫娘からは

生きるということの奇跡、命の尊さ、
「今」という一瞬の大切さを、日々、学んでいます。 

又、そんな生き様を見せてくれる孫娘から、自分の人生の生き方について、新たな活力を与えてもらっていると実感しています。

「自分も与えられた命ある限り、この命を輝かせて、ひとり一人の人々の幸せに                               貢献できる生き方をしていきたい!」と改めて、強く思うようになりました。

●こんな生きづらさを感じている方に心よりお伝えします

かつての自分のように、

自分を好きになれず、自分のことを否定してしまう、自分には価値がないなどと、               生きづらさを感じている方。

自己否定しては、自分で自分を苦しめてしまう自滅パターンを繰り返している方。

いろんなことを頑張りすぎて、心も身体も不調になってしまっている方。

私のように、生きづらい苦しさを長い間、味わうことがないように、自分の心が苦しんでいることに、気づいたら、まずは、ひとりで抱え込まず、助けを求めてみることをおすすめします!

ひとりで何とかしようと、もがいても、
有限である時間だけがどんどん過ぎ去ってしまいます。

もう、変わりたい、、人生何とかしたい!と思っている時がチャンスです。

勇気を出して、一歩踏み出すと、必ず周りの景色が変わっていきますよ。

●ご自身を最優先に、大切になさってくださいね

生まれてきて、今現在まで、ずっと片時も離れず共に歩んできてくれた自分自身を大切に          してあげてくださいね。

自分を救うことができる機会を自分に与えてあげることができるのは、自分しかいませんので。。

どうか、ご自身の為に、自分が幸せになるきっかけを、、チャンスを与えてあげてくださいね♪

私は、自らの生き方を変えたい、変わるための一歩を踏み出したい!という方々を心より応援させて頂きたいと思っています。

ありのままの自分を受け入れ、自分を好きになって 生きる喜びを感じられる人生を過ごして頂けるよう、 「あなたの心に、伴走していきたい」と思っています。

ご縁のあった方が、ひとり、、またひとりと笑顔になっていき、その笑顔の先には、何人もの人々の笑顔が広がっていく、、そんな世界が目標であり、私の心からの希望です。 

ここまで私の長いプロフィールを読んで下さって、本当にありがとうございます。             あなたとカウンセリングでお会いできることを、楽しみにお待ちしております。